こんにちは、蝶まめです。
今回紹介するのは、恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』。
📖 読書天気:薄曇り🌥️
それぞれの目に映る景色を求めて。
第156回直木賞、2017年本屋大賞を受賞した作品です。
有名なのは知っていました。
映画化されたことも知っていました。
それでも、なかなか手に取らなかった一冊。
理由は単純で、クラシックにもピアノにも詳しくないから。
「音楽の知識がなくても楽しめるのかな」
そんな不安がありました。
でも、読み始めてしまえば心配はいりませんでした。
これは、ピアノの知識を試される物語ではない。
音楽を通して、才能や夢、そして人がもう一度歩き出す瞬間を描いた物語でした。
特に心に残ったのは、一度立ち止まった明石と亜夜。
夢って、一度諦めたら終わりなんだろうか。
そんなことを考えている人の背中を、そっと押してくれる一冊です。
こんな人におすすめ
- 一度諦めた夢や趣味がある人
- 「今さら始めても遅いかな」と思ったことがある人
- 人がもう一度歩き出す物語が好きな人
- 才能を持つ人たちが互いに影響し合う群像劇が好きな人
- クラシックに詳しくないけれど『蜜蜂と遠雷』が気になっている人
かなり厚みのある作品ですが、不思議と「長い本を読んでいる」という感覚はあまりありませんでした。
演奏が始まると、その先を見届けたくなる。
そんな力のある物語です。
『蜜蜂と遠雷』はどんな話?
舞台は、国際ピアノコンクール。
そこへ、まったく異なる背景を持つピアニストたちが集まります。
養蜂家の父と旅をしながら育ち、自宅にピアノすら持たない少年・風間塵。
幼い頃から世界で活躍してきたマサル。
一度ピアノから離れ、妻子を持つ会社員として暮らしながら再挑戦する明石。
かつて天才少女と呼ばれながら、長い空白を経て再び舞台へ戻ってきた亜夜。
同じコンクールに出場する以上、彼らはライバルです。
でも、この作品を読みながら私が感じたのは、「誰が勝つのか」という緊張感だけではありませんでした。
誰かの音楽が、別の誰かを動かす。
誰かとの出会いによって、自分自身の音楽が変わっていく。
競争なのに、どこか一緒に音楽を作っている。
そんな不思議な空気のある物語です。
感想|クラシックを知らなくても、音楽が聞こえてくる
読み始める前は、ここが一番不安でした。
私はクラシックにもピアノにも詳しくありません。
曲名を見ても、
「ああ、あの曲ね!」
とは、ほぼなりません。
それでも『蜜蜂と遠雷』は楽しめました。
むしろ驚いたのは、文字しかないはずなのに、読んでいるうちに演奏を「聴いている」ような感覚になること。
もちろん、本当に音が鳴っているわけではありません。
それなのに、
この人の音はこういう音なんだろうな。
今、会場の空気が変わったんだろうな。
そんな景色まで浮かんでくる。
特に後半、本戦へ向けたリハーサルの場面では、読んでいて本当に鳥肌が立ちました。
気づいたら私は観客席ではなく、
オーケストラ側の人間に紛れていたみたい(笑)
そのくらい、物語の中へ入り込んでいました。
音楽の専門知識がなくても大丈夫。
むしろ知らないからこそ、私は余計なことを考えず、その場に流れる音楽を物語として楽しめたのかもしれません。
明石と亜夜|一度止まった夢も「再開花」する
4人の中でも、私は明石と亜夜をずっと気にしていました。
二人とも、一度ピアノから離れています。
ずっと順調に走り続けてきた人ではありません。
だからこそ、
もう一度やってみる。
ということの重さを感じました。
何かを一度諦めたとき。
昔好きだったことから離れてしまったとき。
時間が経つほど、
「今さらなぁ」
と思ってしまうことがあります。
若い頃ならできたかもしれない。
もっと早く始めていれば。
今からやったところで。
そんな言葉を自分で自分に向けてしまう。
でも明石も亜夜も、止まったところからもう一度動き始めます。
まったく同じ場所へ戻るわけではありません。
過ごしてきた時間も、失ったものも、その間に得たものも全部抱えたまま。
だから私は二人を見て、
「再出発」より「再開花」という言葉が似合う
と思いました。
一度咲いたものが終わったわけじゃない。
季節が変わって、また咲くこともある。
夢も好きなことも、そうなのかもしれません。
ライバルなのに、誰かの失敗を願わない心地よさ
明石と亜夜を見守りたくなった一方で、マサルと塵はまたまったく違う存在でした。
マサルには、結果を出すことがあまりにも自然に見えるほどの強さがある。
そして塵は、世間の常識を知らないというより、
良い意味で、常識が通用しない。
最初は、
「この子、この先どうやって生きていくんだろう……」
と少し心配にもなりました(笑)。
でも読み進めるうちに、それぞれの違いこそが、この物語の面白さなのだと思うようになりました。
同じピアノを弾いている。
同じコンクールで競っている。
それなのに、目指している景色は同じではない。
そして誰かの素晴らしい演奏に触れれば、悔しさだけではなく、
「自分ももっと先へ行きたい」
と刺激を受ける。
誰かを蹴落として進むというより、互いの存在によって、自分一人では行けなかった場所へ進んでいく。
明石も亜夜も再び咲く。
塵もマサルも、自分の探していた景色へ近づいていく。
コンクールが終わっても、この人たちの音楽はまだまだ続いていく。
読み終わったとき、そんな穏やかな楽しみが残りました。
まとめ|「今さら」を越えて、また咲けばいい
『蜜蜂と遠雷』を読む前は、
「クラシックがわからない私でも大丈夫かな」
と思っていました。
読み終えた今は、音楽の知識より、人そのものを描いた作品だったと感じています。
才能のある人。
一度夢を諦めた人。
長い空白から戻ってきた人。
常識の外側にいる人。
それぞれ違う人生を歩んできた人たちが、一つの場所で出会い、互いに影響を与えていく。
そして、一度止まったものだって、もう一度動き出せる。
「今さら」と思っていることがあるなら、今がその続きを始めるときなのかもしれません。
ちなみに――。
私は今でも、タイトルの『蜜蜂と遠雷』を完全には掴みきれていません。
作中にはどちらの言葉も登場します。
でも、ひとつの答えに決めてしまわなくてもいいような気がしています。
また読むときには、違う意味に見えるかもしれない。
その曖昧さごと残っているのも、この作品の余韻なのかもしれません。
そして何より。
あの4人が、この先どんな音楽家になっていくのか。
私はまだ、彼らの続きを見ていたいです。
