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『光のとこにいてね』感想|「光のとこ」は希望なのか、拒絶なのか

光のとこにいてね 一穂ミチ 感想 曇り

こんにちは、蝶まめです。

今回紹介するのは、一穂ミチさんの『光のとこにいてね』。

📖 読書天気:曇り☁️
やわらかな光が見えているのに、そこへまっすぐ歩いていけない。そんな息苦しさと切なさが残る一冊。

この本を手に取ったきっかけは、タイトルでした。

「光のところにいてね」ではなく、

「光のとこにいてね」。

ほんの少しくだけた言葉なのに、そこには祈るような優しさがある。

でも読み終わったあと、その言葉は、最初に感じたほど単純に温かいものではなくなっていました。

光の中にいてほしい。

その願いは希望なのか。

それとも、自分とは違う場所にいてほしいという拒絶でもあるのか。

二人の人生を追いながら、何度もその意味を考えた物語です。

※『光のとこにいてね』は2025年9月に文庫化されています。文庫版には、単行本の初回特典だった掌編「青い雛」も収録されています。

こんな人におすすめ

  • 誰かを羨ましいと思う自分に苦しくなったことがある人
  • 家庭環境や生きづらさを丁寧に描いた作品を読みたい人
  • きれいな友情だけではない、依存や執着に近い感情を描く物語が好きな人
  • 「自分の幸せを選ぶこと」について考えたい人
  • 読み終わったあとも長く心に残る小説が好きな人


明るく軽い物語ではありません。

けれど、単純に「つらい話」と言ってしまうのも違う。

人が誰かを求める気持ちの美しさと危うさが、静かに残ります。



『光のとこにいてね』はどんな話?

物語の中心にいるのは、小瀧結珠と校倉果遠。

二人が初めて出会うのは、小学生2年生の頃です。

育った家庭も、着ているものも、日常もまったく違う二人。

本来なら交わらなかったかもしれない二人ですが、互いの中に自分と似た孤独を見つけるように、強く惹かれていきます。

けれど、一緒にいられた時間は長くありません。

突然離れることになった二人は、その後、思いがけない形で再会します。

子どもから大人へ。

生活も立場も変わっていく中で、それでも消えない相手への思い。

『光のとこにいてね』は、二人の約四半世紀を描いた物語です。

感想|「普通」に憧れる人と「自由」に憧れる人

この作品を読んでいて印象に残ったのが、

自分にないものを持っている人は、光って見える。

ということでした。

誰かにとっては当たり前の暮らしが、別の誰かにはどうしても手に入らないものだったりする。

「普通」に憧れる人がいる。

一方で、その「普通」の中にいる人は、そこから自由になりたいと思っている。

外から見れば恵まれているように見えても、その人が幸せだとは限りません。

でも、頭ではわかっていても、

「あなたにはあるじゃない」

と思ってしまうこともある。

結珠と果遠を見ていると、そんな羨ましさがとても生々しく感じられました。

どちらが幸せで、どちらが不幸なのか。

そんな簡単な話ではないんですよね。

人は、自分が持っていないものほど眩しく見てしまうのかもしれません。

二人をつなぐものに、名前は必要なのか

結珠と果遠が一緒に過ごした時間は、人生全体から見ればほんのわずかです。

それなのに、その出会いが二人のその後を大きく変えていきます。

友情なのか。
恋愛なのか。
家族に近い愛情なのか。

読んでいて、何度も考えました。

でも結局、私は無理に名前を付けなくてもいいのだと思いました。

何と呼ぶかより、

その人でなければ埋まらない場所がある。

二人にとって大切なのは、たぶんそこです。

誰か一人が人生の中でそれほど大きな存在になることは、美しい。
でも同時に、とても危うい。

相手が自分を救ってくれる存在になるほど、その人を失うことが怖くなるからです。

この物語の苦しさは、「大切に思うこと」と「依存すること」の境界が簡単には見えないところにもあるように感じました。

自分の本心で選ぶことは、わがままなのか

二人を取り巻くものは、家庭だけではありません。

立場。
周囲の期待。
常識。

大人になればなるほど、「自分がどうしたいか」だけでは決められないことが増えていきます。

誰かを傷つけたくない。
誰かを犠牲にしたくない。

だから自分が我慢すればいい。

そうやって選んだ道は、優しい選択にも見えます。

でも、それを続けた先に本当に幸せはあるのでしょうか。

私はこの作品を読みながら、

自分の本心で選べることも、幸せの一つなのかもしれない。

と思いました。

もちろん、自分を優先すれば誰も傷つかないわけではありません。

自分の幸せを選んだ結果、誰かを悲しませることもある。

だから難しい。

正解がないからこそ、二人の選択を簡単に肯定することも否定することもできませんでした。

「光のとこにいてね」の意味が変わっていく

読み始めたとき、

「光のとこにいてね」

という言葉は、とても優しい願いに見えました。

あなたには幸せでいてほしい。
暗い場所ではなく、明るいところにいてほしい。

そんな祈り。

でも物語が進むにつれて、その言葉の中に別のものも感じるようになりました。

光の中にいてほしい。
でも、そこに私はいない。

近くにいることが相手を幸せにするとは限らない。
だから離れる。

そう考えると、この言葉は希望であると同時に、拒絶にも見えてきます。

それでも私は、冷たい言葉だとは思いませんでした。

むしろ、自分の願いより相手の幸せを優先しようとした結果なのかもしれない。

このタイトルが好きなのは、ひとつの意味に決められないからです。

読む前と、途中と、読み終えたあと。

同じ言葉なのに、見え方が変わっていきました。

一穂ミチさんの作品に感じる、人の複雑さ

一穂ミチさんの作品を続けて読んでいると、人の気持ちを一つの言葉で片づけないところが面白いと感じます。

好きだから許せるとは限らない。
正しいことが優しいとは限らない。

誰かを大切にすることと、自分を大切にすることが同時には叶わないこともある。

『ツミデミック』でも、『恋とか愛とかやさしさなら』でも、そんな簡単には整理できない人の内側が描かれていました。

『光のとこにいてね』も同じです。

二人の選択を「これが正解」と示してくれる物語ではありません。

だからこそ、自分ならどうするだろうと考えてしまう。


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まとめ|誰かの光と、自分の光

『光のとこにいてね』は、結珠と果遠という二人の女性の長い時間を描いた物語です。

二人は互いに、自分にはないものを持つ相手でした。

だから眩しく見えた。

だから惹かれた。

そして、だからこそ苦しかったのだと思います。

人生には、絶対に正しい選択なんてないのかもしれません。

誰かを選べば、別の誰かを傷つけることもある。

誰かを守ろうとして、自分を見失うこともある。

それでも、自分が本当に望んでいることから目をそらさずに選んでいくしかない。

「光のとこにいてね」。

それは誰かに向ける願いでもあり、

もしかしたら、自分自身にも向けていい言葉なのかもしれません。

読み終わったあとも、その言葉の意味を何度も考えたくなる一冊でした。