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【ドラマ化】「笑うマトリョーシカ」。最後に笑うのは誰なのか

ミステリー

どうも〜、蝶まめです。

寒くなってきて、ブランケットに包まりながら読書を楽しむ日々が始まりました。


今回手に取ったのはドラマでも話題になった原作、早見和真さんの「笑うマトリョーシカ」です。

選書理由

マトリョーシカには何の意味があるのかわかりませんが、次々と出てくることや顔つきなど、少し不気味に感じる私はタイトルには惹かれませんでした。

ドラマ化を受け、書店や図書館でも原作本としてコーナー展開されていましたが、スルーしてました。

しかし、夫がドラマを観ていてチラッと観ると、サスペンスなの?ミステリーなの?と興味が…。

一見すると政治家の裏の顔を描く印象で、話が繋がらないもどかしさから読んでみることに。

読んでみようと思ったタイミングで貸出可能だったのも後押しになりました。

「笑うマトリョーシカ」のあらすじ

47歳で若き官房長官となり、総理への階段を駆け上がる男は、周囲を魅了する輝きを放っていた。
「彼が誰かの操り人形だったら?」
そう感じた女性記者が、背景を探ると、関係者の不審死、同級生の秘書や家族らの怪しい関係性が浮上し――。代議士を操ろうとする人物は誰なのか? 

読んだ感想

私がマトリョーシカに持っていた印象がそのまま人に当てはめられてしまった感じです。

誰でも本当の自分を偽って自分を演じるシーンはあるでしょう。

一人の時の顔、職場や学校での顔、限られた相手の前での顔、表裏…。

でも、どれが本当の顔なのか誰にも見抜けず、時に自分さえ欺いているのかもしれない。

自分ってものは「自分」が作るのか「誰か」が作るのか、何がどう影響して完成するのかが分からないから、影響するものが違ったら全く別の自分になるのかな?

作中で「本当の顔」と思われていた部分こそが「演技」だったと明かされた瞬間はトリハダものでした。(ドラマでも確かにそう言ってたの聞いたのに…。)

そんな昔から全て計算していたってことだし、末恐ろしい…。

まとめ

少し前に読んだ平野啓一郎さんの「本心」でも、本心は自分さえわからない、たくさん学習させたAIでさえ再現できない複雑で唯一無二だと感じたところです。

事細かに伝えたとしても、自分が感じる「これ」を他の誰かに正確に伝えることはできないのですから。

同じ景色を見ても感じることが違うのと同じように、同じところを目指しているようで、全く違うところを目指している可能性も否めない…。

難しいですね。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
次回もお楽しみに♪