おはにちばんは!
今日もがむしゃらに私らしく
今回もよろしくお願いします。
自分で勝手に疑問に感じたので、じっくり向き合ってみましたよ〜。
良かったら最後まで御覧ください♪
雛人形を飾るのが面倒
立春を過ぎ「雛人形を飾る時期」が来ると「出すのめんどくさい…」と必ず一度は思います。
素敵な三段飾りに最初は張り切った
雛人形を購入したのは娘が生後3ヶ月の時。
当時の私には立派な雛人形を買えるような蓄えはなく(今もないけどさ…)、実家からの援助もありません。
決定権は母親の私にあると言ってもらいながらも、夫と義母が出し合って買ってくれることになったのもあり、意見なんて言えないですよね(笑)
「雛人形は絶対に必要な物!」と言い張られましたし…。
7段、3段と立派なものを見ると親王飾りやケース飾りは味気ないと否定的な声が上がり顔や着物が素敵だった3段飾りに決まりました。
私自身が雛人形がなかったので何の知識も経験もない状態での初飾り…。
寝返りを始めるくらいの娘を横目に一人で本当に苦労しましたが「娘は安心だ」という気持ちが溢れたのを覚えています。
「面倒」な気持ちが生まれる
最初の年は「嬉しさ」が一番だったし「いい嫁・良い母キャンペーン中」だったので義務感・責任感も強く気にならなかったのかもしれません。
翌年から年々「面倒」という気持ちが出てくるように…。
雛人形を飾るのは年に1ヶ月程度の期間ですが、細かいものが多く手入れが大変なんですよね…。
娘が良し悪し分からず触ったり投げたり口に入れたりの時期は特に気を使いました。
それでも飾るのは?
面倒だと思うなら飾らなければいいのでは??と思う方もいると思います。
小さいものを気軽に飾る選択をする方も多いですしね。
それでも私はずっとこの雛人形を飾り続けると思う理由があります。
義務
「雛人形があるのだから飾らなければいけない」という義務。
それは確かにあるんですよ。
ひな祭りの話題は必ず目や耳に入るだろうし、その時に飾っていないことに負い目を感じて自分が耐えられないと思います。
愛情
今はこれが本心だと思っています。
実は子供の頃から今でも人形というものが苦手な私…。
でもね…娘のことを愛おしく思うと同じくらい、この雛人形たちにも愛おしさを感じるんですよね。
娘には直接伝える愛情と人形を通して将来的に伝える愛情があるように感じることも…。
出すのもしまうのも…
1月下旬ごろに節分や立春の話題が出始めると「雛人形飾らなきゃ」と思うのですが、その時は確かに「面倒」
しまう何日か前も「面倒」
でも不思議と当日は面倒と思わないのです。
妙に気合が入る
「よし!飾ろう!!」と妙に気合が入ります。
飾る日は日の良し悪しと天気をチェックして決めていますが、どうしても気分が乗らない時は延期することにしています。
とはいえ、今まで延期したことはないんですけどね。
充実感が半端ない
気合を入れて飾っても重い、細かい、手間がかかるのは確かなのでバタバタしたり「あー」と大きく息をついたりすることはあります。
でもね、終わった時の充実感といったら表現できないんですよ。
何せ私が気に入ったものだし、毎年のように選んだ時のことを娘に話して聞かせるから、娘自身も大事にしてくれて…。
手入れが面倒…と言いながら、私も家の中で一番丁寧に掃除するし(←他もちゃんとしましょう!)、しまう時は名残惜しいし…
不思議な気持ちになるものです。
これは親心?
毎年、「無事に飾れたこと」に感謝して、「また来年も同じように飾れますように」と願うこと…
義務でも見栄でもなく、目の前にいる娘への親心なのかな…。
- 正しい飾り方に拘らない
- 必要以上に余所余所しく扱わない
- 触らせていい
これは雛人形を選んだ時に言われたことでした。
気負い過ぎて余所余所しく扱うより身近なものとして接する方が良いし、飾り方を間違っても「あーだこーだ」言いながら楽しむ気持ちが大切だからと。
まとめ:ただ娘の無事成長を願って…
雛人形は細かいし飾り始めから終わりまで気を使うことは多いです。
順番を間違えて二度手間三度手間なんてこともよくありましたし…。
どんなに面倒と思っても、私は娘と一緒に飾る時間、語り合う時間、幸せや無事を願う時間が好きなんですよね。
娘も元気に成長して嬉しい反面、難しくなってきた部分もあり悩むこともあります。
でもきっと…
毎年雛人形を飾る時、娘が生まれた時や成長を願って選んだ時の気持ちを思い出して初心に還ることで乗り越えられることもあると信じます。