おはにちばんは!
今日もがむしゃらに私らしく。
今回もよろしくおねがいします。
無関心だった私
「無関心」というより「無責任」だったのかもしれません。
広大すぎる宇宙の中で地球がどれだけ奇跡的な星か分かっている私ですが、人的影響によって破壊される環境問題に「できることはない」と思っていました。
ただ面倒
リサイクルのために洗ったり分別したりするのは面倒ではないですか?
分別するのに道具を使ったり、勢い余って手を切ったり…
分別しやすいパッケージは増えましたが手間はあります。
家事、育児に忙しく自分の時間があまり持てなかった頃は、その分別や収集に出しに行く時間がもったいなかったんですよね。
直接的なメリットがない
リサイクルや分別収集を頑張っても目に見える形で戻ってくるわけではないし、メリットを感じにくいじゃないですか?
時間や手間をかける=対価がほしいと本気で思うほど、気持ちに余裕がなかった頃といえばそうなのですが、荒んでますよね(笑)
ポイントが付くよ!という場所もありますが、わざわざ持って出るのが大変ですぐに通わなくなりました。
どっちでもいいなら楽な方
この辺りはリサイクル収集するものも可燃、不燃収集で出すことができる場合もあります。
分別や別日の回収が面倒で「これは可燃に出してしまえ!」「リサイクルできるけど不燃でいいや」となってしまっていたんですよね。
少量をリサイクルに出すのは面倒だし、量を溜めるのも嫌でした。
環境は簡単に改善できない
本当はずっと分かっていました。
地球環境は悪化して他人事とは思えなくなるだけの変化が起きていますし、危機を感じる機会が増えていますし…。
でも今から立ち上がっても簡単には変わりません。
もう手遅れなこともきっとある
原因がはっきり分かり、それを今から0にしたとしても破壊された環境が元のように回復することはないと思います。
それどころか破壊が今の時点でストップするとも限らないでしょう…。
「今更気づいても手遅れ」なこともあるけれど、「手遅れだから何もしなくていい」ということではないことを忘れずにいきたいですね。
自分に関係ないと思っていた
環境問題は私が幼い頃からいわれていたことですが、「30年後には…」なんて言われてもイメージできませんでした。
子供時代から若い頃は時間の感覚が違いましたものね。
今あるものが失われる未来
夏の暑さや冬の寒さ、豪雨による災害が増えるなど環境の変化を感じる機会は増えましたよね。
昔はもっと沢山いたはずなのに数が減ってしまった生き物もいれば、手に入らなくなったものもあります。
将来、「昔(今現在)は普通にあったもの」が貴重なもの、もしくは失われたものになっている可能性も否定はできないですのが現実です。
環境対策に関わるのは難しい?
いざ環境対策を考え行動し始めても、個人では目に見える変化を感じることはないのかもしれません。
そのくらい大きなことだからこそ、考えなければいけないのかもしれません。
小さなことの積み重ね
環境対策を意識してリサイクルに限らず様々な取り組みをしたとしても、目に見えて何かがわかるわけじゃない…
しかし、小さな積み重ねが大きな変化に繋がることも事実。
「一人の力が大きな何かに結びつく」
この世のすべてが見えなくても感じられなくても、小さな一つが集まってできているということを感じるいい機会だとも思いますよ。
私がこれを、あなたがこれを
唐突に出してくるけどTHE ALFEEの高見沢さんが作った曲の中に「君だけを守りたい」というものがあります。
ウルトラマンシリーズが好きな方ならご存知かもしれませんね。
「なぜヒーローなのに君『だけ』を守りたいなのか」という問いに対し、「世界を守るためには個人を、個人を守るためにはそばにいる人を守らなければならないという発想から」とコメントしています。
本当にそうですよね。
全体の中で自分にできることは少なくても、それぞれができることを精一杯することで「全体の中でできないこと」が減っていくわけですから…。
同じ目標に向かって
目標というと、はっきりしたものを決めて突き進まなければならないと思いがちですし、達成するための明確な事柄を決めなきゃいけない気がします。
しかし、環境対策なんて大きな目標は個人ではイメージができないし、逆算した事柄はなかなか見えてきません。
だから、ここは専門家の意見に従ってできることをすることが一番。
目に見える変化がなくても、全く協力しない人が気になっても自分の取り組みが無駄になることはないと言い聞かせて、誇っていきまししょう。
まとめ
最近はリサイクルや環境対策を意識して時間や手間をかけるようになったこと、みんなに同じ気持ちになってほしいという思いを書いてきました。
最後に「どうしてそうするようになったか」を語れば、それは娘のためでした。
産後から幼児期は必死過ぎて余計な時間や手間をかけることができなかったけれど、気づけば娘も環境について考える年齢です。
そして数十年後…
私自身には関係ないかもしれませんが、娘や孫といった子孫が生きる時代と考えたら「関係ない」とは言い切れなくなりました。
そばにいる大切な人の笑顔を守るためと思って頑張ってみようと思ったわけです。
個人ができることは少ないかもしれないけど、しないよりした方が良い未来が来ると信じて頑張っていきましょう。