おはにちばんは。
ありんこさんです。
感染症対策での自粛生活が終わり、あらゆるところで交流が再開した最近、私はいつからこんなに普通に話をするようになったのだろう…とふと思いました。
ずっと「人見知りが激しい」と思っていましたが、大人になっても変わらなかったんです。
そう言えば昔は考え方も違っていたな…。
今回は私が自分と向き合い始める前の自分についてお話していこうと思います。
良かったら最後まで読んでみてくださいね。
発言してはいけないと思っていた
私は子供の頃から「発言できる立場にない」とどこかで思っていました。
理由は今は分かっているのですが、ここでは「家庭環境の問題」とだけ伝えて深くは語りません。
ただ発言できるのは私より「優秀」で「家柄が良く」「信頼される」人であり、私はそんな人達の発言した意見に従う以外ないという感覚で…。
学校でも職場でも自分の意見は「あってはいけない」、最低でも「内心に留めなければいけない」と思っていましたね。
だから、そんな胸の内を語れた相手は極々少数で、今も深い付き合いをしている限られた友人です。
当たり前の権利でさえ…
店頭で質問をしたり不良品の返品交換をすることは消費者の権利でもありますよね?
そんな当たり前のことさえ、自分には許されないと思っていました。
一つの商品を求めて買い物に出かけても、売り場が分からず「聞く」という選択肢が与えられないと思っている私は手に入れられず…。
商品について質問もできず自分で選んだ商品が思ったものと違っても、初期不良等あった場合でも、「自分の選択ミス」や「運が悪い」と問い合わせさえできず…。
何で問い合わせ内の?強く言わないの?断らないの?
そんな風に周りから言われても、「私は言えるほど強くないから」なんて言ってました。
でも、みんな当然の権利に関してはしっかり意見しているんですよね。
そう、言えない、言ってはいけないなんて思ってる私がおかしかった…。
意見を言えて初めて自分を認めた
多分、うつ病の治療を始めて自分と向き合い始めてからでしょうね。
また、自分の過去とかマイナスの面もさらけ出すようになったのも大きかったのかな?
店頭で当たり前に質問をしたり、契約内容を自分で検討したりできるようになりました。
免許を取った時、明らかに向こう側のミスで安全協会費払ったのに未加入扱いになっていたのに、その不満さえ言えず協力し続けていたんですけどね(笑)
初回は完全に無駄に払ったわけだし、2回目以降は金銭的に余裕なかったのに、馬鹿ですよね。
それ以降、自分の意思表示をしても決して咎められることもなかった事実が自信になり、意見を言い環境や身の丈に合った選択ができるようになりました。
やっと「私も同じ権利を持っている」ということを自身で認められたんです。
自分からの発言も増えた
今は自分から声をかける、発言する、意見を述べる機会も増えましたし、できることを探すようになりました。
店頭でも場所を聞いたり商品の質問をしたり、普通にできるようになりましたし、どんなに勧められても断る、一度持ち帰ると言えることで損も減ったでしょう。
もちろん、「聞いていい・発言していい」が当たり前になるまで、声をかけることに緊張し、激しい動悸を隠して頑張った時期もありますが、今ではそれもないですね。
まとめ
生まれ持った性格を変えることはできないと疑いませんでした。
しかし、人の性格は育つ環境と生まれ持った部分が影響しあってできるものなのだと知りました。
少なくとも性格は「考え方の歪みを矯正することで変えることができる可能性があるもの」であり、時間こそかかっても「変わらない」ものではありません。
まずは事実に気づくこと、自分を信じることがスタートなんですね。
子供を育てていて思うのは、私のように生きづらい性格の大人にならないでほしいということ…。
生まれ持った性格が私と同じ雰囲気の娘は「発言のきっかけ」を自分で作ることは苦手で、場数を踏むことも拒否することがありますが…。
私が今、楽しく過ごしている様子を見れば、娘も自然と同じように行動できるようになると信じて、今後も向き合っていこうと思います。