おはにちばんは。
今日もがむしゃらに私らしく、
今回もよろしくおねがいします。
私は最近、本気で思うようになりました。
「真面目な人ほど嘘をつかなきゃいけない」
今回はうつ病を乗り越える為に自分と向き合った際に気がついたことの一つをお話していこうと思います。
- 人はなぜ嘘をつくのか
- どんなことが嘘なのか
- 必要な嘘はある
- 自分の嘘に気づかない危険
最後までチェックすると自分を見つめ返し、肩の力を抜いて生きる一歩を踏み出せるはずです。
「考え」のきっかけ
私は育った家庭環境の影響で「嘘つき」というものに異常なほどに敏感でした。
当時は誰もが軽蔑するような大きなことだけが「嘘」であって、良いも悪いもなかったんですよね。
しかし、それは違うと知った時、「嘘をつかずに生きていける人間はいない」と受け止め、気持ちが楽になりました。
うつ病とAC
私は数年前までうつ病とパニック障害で辛い時期が続いていました。
重度のうつ病と診断されるに至った大きなきっかけはある人の盛大な勘違いによる「嘘つき断定発言」。
誰よりも嘘が嫌いで、絶対に嘘はつかない!と心に決めていたくらいの私にとって、「嘘つき」と言われたことのショックは大きすぎました。
でもね、それをきっかけにどん底に落ちた時、何とか這い上がろうという気持ちが勝ったようで…
お薬やカウンセリング、家族の支えの中で私の考えが凝り固まっていたことに気づきました。
実際には「元々うつ病になりやすい思考だった」ことが根本にあったんです。
幼少期の経験や環境からついた思考の癖から抜け出せず、ずっとそのまま生きてきたみたいです。
今は寛解して穏やかに暮らしています。
器にも余裕が出てきたし、これかからはバケツひっくり返しても大丈夫なくらいにしたいですね。
自分らしく生きるため
生きづらさはただ「性格」だと思っていました。
「生きづらい性格に生まれた私は一生、生きづらい」と諦めて…。
でも、「うつ病」の診断と「AC」の可能性、そして過去と向き合い気づくことで矯正できることもあると知った時、まさに光が射した気がしました。
そこからは過去の自分を振り返り見つめ直し、自分の考えと向き合って新しい気付きを得て…
何が正しくて何が間違っていたか、私の選択は本心だったのか否か…
その中で気づいたこと、この先に同じ選択をしないようにするために自覚したいことの一つが、今回のお話になります。
嘘をつく理由
誰も嘘なんて付きたくないですよね。
でも「嘘をつかずに生きることはできない」わけがあります。
「嘘つき」というと印象は悪いかもしれないけど「嘘は時に必要なこと」で、言い換えれば「誰もが嘘つき」です。
「嘘をついたこと」を常に悔やんで自分を悪者にしている人もいるかもしれませんが、それは本当に悪い嘘ですか?
「嘘をつくのが人間」と受け止められたら楽になりませんか?
良いも悪いも関係なく「一切嘘はつかない」と必死になると、自分が損をしたり悪者になったりして、人と上手く付き合うなんて不可能かもしれません。
守るため
人が嘘をつく最大の理由は「自分を守るため」
きっと多くの方が共感できるのではないでしょうか?
「正直に言うことで悪影響がある」と感じる時に、誤魔化すために嘘を言ってしまった経験は誰にでもあるのではないでしょうか?
「嘘も方便」とも言われるくらいですし、自分のため、誰かのために必要な嘘だってあります。
居場所や立場を守るため
全て許されることではないと思いますが、自分の居場所や立場を守るために不都合なことを隠すような嘘を言うかもしれません。
世の中の摂理
お世辞や謙遜だってある意味「嘘」じゃないですか?
世の中にはそんな「言って当たり前」のいわば常識的な嘘があるわけですよ。
それだって、十分「嘘」にあたるわけですね。
でも嘘をつかずに自分が無理をする選択を拒めば、「付き合いづらい」とか「常識がない」とかいう目で見られて…
世の中の摂理に反してるとまで言う人はまだまだいますよね。
真面目に生きるということ
「真面目」ってなんなんでしょうね。
無理をしてでも人に合わせること?
誰かの為に自分を犠牲にすること??
和を乱す悪
社会や学校、地域など集団の中で生きていると、それぞれの「当たり前」が存在しますよね。
その「当たり前」から外れてしまうと後ろ指さされたり、輪から外されたり…。
社会のルールや規則は必要だけど、好みやすることまで誰かに合わせる…
それが「真面目」??
自己肯定より自己否定
トラブルがあった時、それを「必然」と思って次に活かす対策するより、「自分の責任」と思う方の方も多いのではないでしょうか?
ヒューマンエラーは防ぎようがないし、だからこそ一人より二人、二人より三人と何重にもチェックするのに、どうして自分だけの責任なのでしょう。
逆に自分の努力成果に対しては「一人の成果」と受け止めないんですよね…。
相手は自分
人が嘘をつく対象として一番多いのはきっと、「誰か」ではなく「自分自身」ではないでしょうか。
結果としてそれは「誰かへの嘘」にもなりますが、伝わらないし伝えてはいけないことと受け止められるので、影響されるのは自分だけです。
本心を人に言わない嘘
何かを頼まれ、断ると自分にも悪影響があるとしましょう。
「本当は辛いけれどやらなければならないから頑張ります」
これが本心として「辛い」ことは頼む側や組織には関係ないですよね…。
「一言多い人」と言われてしまうかも…。
本心を伝えると「いい印象を与えない」という現実があるのです。
だから「本当は辛い」という事実自体を自然に隠してしまうのではないでしょうか。
誤魔化しという自分への嘘
例えば落ち込むことがあり、本当は全然整理がついていないのに「まあいっか」と誤魔化すのも自分への嘘でしょう。
落ち込んでも仕方ない…と切り替えたい気持ちはわかりますが、それでもすぐ切り替えられる人はそういません。
ふとした瞬間に思い出して「あーーー」となって…を繰り返すことだってあると思うんです。
誰かに心配かけないように…という思いやりが自分への嘘になることもあります。
当たり前と思い込む嘘
「本心を言わないこと」「平気なフリをして誤魔化すこと」が生きていく中で当たり前と感じていませんか?
いや、当たり前だから「感じる」とか「意識する」とか自体がすでにないかもしれないですね。
しかし、自分に対する「嘘」が一番問題で悪影響だということに気がつく人は少ないようです。
せめて「その場では誤魔化すだけ」にしませんか?
誤魔化した部分は別の場所で開放して、本心と向き合って「完璧な嘘」に変えないようにしていくことが、「無理をしすぎないための無難な方法」だと思います。
まとめ
「誰もが嘘をつく」事実に気づいたことで、私の気持ちは楽になりました。
もちろん、私が嫌いな分類の嘘は別物だし、悪い嘘は許せるものではありません。
「嘘つき」であることを認めたことで「自分にどれだけ無理をさせていたか」にも気が付き、生きやすさを求めることを諦めることを辞めました。
「正直者がバカを見る」とよく言うけれど、それは世間体。
「嘘を付けば苦しむ」のが自分自身。
一番得をするのは誰?と深く考えます。
考えても答えなんて出ないけれど…。
良い悪いを意識しなくても人が集まってくるような人もいるし、努力したって避けられるような人もいます。
誰からも認められるような人でさえ恨まれるし、誰もが否定するような人を本気で擁護する人もいて…。
一人ひとりが違うからこそ「絶対」なんてことはないと分かっているけれど、「絶対」を手に入れたいと思ってしまうかもしれません。
前だけ見て生きることは素晴らしいけれど、時に違和感や不自由を感じることはありませんか?
それは理由や答えを見つけなければ取り除くことはできないでしょう。
もしかしたら振り返る必要がないと思っていた過去の中にあるかもしれません。
もし、しっくりくる答えが見つからないことがあったなら、じっくり過去と向き合ってみることをおすすめします。