おはにちばんは
今日もがむしゃらに私らしく
今回もよろしくお願いします。
今日は3月11日…。12年前の今日、太平洋沖を震源とした大地震、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生しました。
3つのプレートが重なる位置にある日本は地震大国であり、私が実際に知る限りでも多くの地震が起きています。
しかしテレビ画面などの情報源を通して見たり聞いたりしても実感できないことであり、私が語れることはありません。
東日本大震災とは…
このブログに訪れる年代で知らない方はいないと思いますが、12年が経ちますし確認の意味も込めて書いておきますね。
2022年3月11日14時46分18秒
今からちょうど12年前の3月11日の午後に宮城県沖を初めとする広大な震源域で発生した巨大地震です。
マグニチュードはM9.0で国内観測史上最大の規模となりました。
※世界的に見ても1900年以降、チリM9.5、アラスカM9.2、スマトラM9.1に次ぐ4番目に規模が大きい地震
破壊は3箇所と誘発の可能性
震源域は宮城県沖から茨城県沖までと広く、連続して3箇所の破壊が起きた為に地震の揺れが長く、大きな揺れが何度も襲うことになりました。
- 断層破壊の長さ450km、幅200km
- 揺れの長さ180秒(3分)
太平洋沖やその周辺では今も東日本大震災の余震と考えられる地震が度々発生していますし、まだまだ「過去」とは言い切れないくらいです。
また、翌3月12日3時59分には長野県北部地震が発生しており、太平洋沖で発生した地震が誘発したもの考えられています。
日本中が揺れた
M9.0の巨大地震は宮城県で観測された震度7を最大とし、宮城、福島、茨城、栃木の4県36市町村と仙台市内で震度6強を観測しました。
長周期地震動と言われる高層ビルなどを大きくゆっくり揺らす現象が観測され、震度5強だった東京23区内や遠く離れた大阪でも被害が発生したそう。
震源から遠い九州南部や小笠原諸島でも震度1を観測するなど、日本全体が揺れたことになります。
予想を遥かに超える津波
海底で発生した巨大地震は波高10mを超える巨大な津波が発生しました。
検潮所で観測できる高さをはるかに超え正確に観測できなかったところが多いのだそう…。
この震災の死者の9割以上が津波による溺死とされており、行方不明者は今でも2500人を超えています。
宮城県沖で地震が発生した場合の津波想定もなされていましたが、想定を遥かに超える巨大津波に避難先の高さが足りなかった例も報告されています。
原発のメルトダウン
福島第一原子力発電所では、地震により外部電力が遮断、津波により非常用発電機が故障するなど電力がストップしたことでポンプが停止。
核燃料を冷やすことができなくなったことでメルトダウン(炉心溶融)が起き、最終的に水素爆発しました。
被災地でないようで被災地
私は当時、地元の茨城県在住。
海沿いではないので津波の被害こそなかったものの、震度6弱〜強い余震が続き停電・断水3日、燃料や食料調達の苦労を経験しました。
とはいえ、住んでいる家は普通に住める状態で在宅避難で済んだし、「震災被災地」として想像するような悲惨さは、ほぼありませんでした。
情報がない不安
何が一番かと聞かれればこれなんですよね…。
「情報がないこと」
震源や震度、注意事項…何も入って来ないんですから…。
私は出先だったので、車のラジオを付けたのですが余震でめちゃくちゃ揺れるんです。
車に乗ったりそばに居たりするのは危険だし、地震酔いもするんですよ…。
多少落ち着いてきても、道の地割れや陥没、水道管の破裂等で水浸しの場所も多く帰るに帰れないし…。
当時はガラケーでテレビやラジオ機能はなし…。
電話やメールなど通信が繋がるわけもなく、家族と連絡も取れないし「わからないこと」があんなに怖いとは思いませんでした。
食べられるだけでいい
私が用事があって出かけ、帰りに食品を買い出しする予定でした。
しかし、その前に地震で動けなくなったので家に食品はほとんどない状態。
味噌おにぎりで数日過ごしましたが、水とお米があり味噌がありカセットコンロがあって本当に良かったと思いました。
みんな自分たちの生活で精一杯な中なので近所数件での支え合いをする以外、広く情報を収集・共有する余裕はなく…。
給水や食料配布などもあったらしいのですが、防災無線が機能せず情報が入らなかったため分かりませんでした。
計画停電免除に申し訳無く思う
原発事故の影響等もあり電力逼迫から計画停電があったと思います。
最初は茨城も対象で停電予定時間の連絡もあったのですが、実施直前になって「茨城県は被災地認定されたため計画停電対象から外れた」との放送が…。
計画停電が実施される頃には私の住んでいた地域のライフラインは安定していましたし、物流や仕事こそ不安定ではありましたが「被災地」という感じではなく…。
私個人の感覚では「計画停電対象除外」で周りから非難される状況。
茨城も地域を分けて一部対象にしても良かったのでは?と思う反面、生活が元に戻っていないのも事実だし、被害の大きい場所もある…と複雑でした。
忘れてはいけない立場
私は震災で巨大な揺れを経験し、数日間は不自由な生活を迫られました。
製造や物流が滞り、スーパーなども常に品薄で個数や地域制限がかかる時期も長かったですし、車がなければ生活できない場所で燃料調達にも苦労しました。
しかし、家も家族も友人も無事。
数ヶ月出勤見送りで収入が激減したとはいえ、再開の予定はしっかりある環境…。
どれだけ恵まれていただろうと思います。
災害は他人事じゃない
災害は他人事ではないことは断言できます。
それは世界中どこにいてもですし、地震大国と言われる日本は当たり前として受け止めるべきです。
※台風や豪雨水害、噴火だって最近は珍しくありませんよね?
南海トラフや首都直下地震が注目されがちですが、他にも想定されている地震は山ほど…。
そして「遠いから関係ない」わけではないことを忘れずに…。
地震対策は必要
地震はいつくるか分かりません。
だからこそ後回しにしない対策が必要なんですよね。
危険を認識すること、非常持ち出しの袋の準備、家族の対応や集合場所を決めること、家財の固定や保険を考えるなど、できることはしましょう。
そして災害時に自治体がどう動くのか、避難場所などの情報は在住地域以外も行動範囲で確認しておく方がいいです。
備蓄も絶対
自治体には食料等の備蓄義務があるから個人で準備する必要はないと認識している方もいるようですが、その考えは絶対反対です。
想定通りにいかないのが自然災害ですし、備えの時点で十分に数があっても実際に必要な時に使える数が十分とは限りません。
私が経験したように、いつどこで配布するのか明確な情報を得られないかもしれないし、災害により孤立して思うように移動ができない可能性もあります。
必然的に在宅避難しかない場合は自宅での備蓄が必須ですよね?
大雪での立ち往生に備えて車に食料や防寒具、簡易トイレなどを備えることもあるのに、災害に備えないなんてありえません。
家族で決めておこう
家族は一緒にいるようで離れていることが多いのが現実です。
だからこそ、災害時の対応や集合場所について決めておくようにしましょう。
普段の話の中で「こういう時はこうしようね」と話しておくだけでも、結構意識に残っているもので、有事の際にパニックになっても思い出す可能性がある気がします。
他人事と思わない
これだけ言っても経験していなければ「他人事」かもしれません。
しかし、「当事者」になって慌てても後悔しても遅いとしか言いようがなくなります。
備えは「ないより無駄になる方がいい」と心得てほしいです。
まとめ
長くなってしまいましたが、3月11日を忘れず伝え続けるために書かせていただきました。
春の昼間でしたが電気の使えない夜は寒く怖かったし、地震発生時刻が深夜だったら…真夏や真冬だったら…と考えると更に恐ろしくなります。
防災対策はバッチリ!という方も定期的な見直しや家族で話す機会を持つことを忘れないようにしてくださいね。
私は関東在住なので防災の日(関東大震災の日)の9月1日と3月11日に確認するようにしています。
各地域ごとに災害発生日が存在し、ニュースなどでも取り上げられますよね。
「他人事」と感じないものは意識しやすいでしょうし、自分なりに思い直す日として決めてはいかがでしょうか?